東京家庭裁判所 昭和47年(家)7228号 審判 1973年8月23日
申立人 大野清子(仮名)
相手方 大野武夫(仮名)
主文
相手方は長女洋子、長男晃を連れて東京都世田谷区○○△丁目△△-△○○荘申立人方に戻り申立人と同居して夫婦生活をなすべし。
理由
一 (申立人の陳述)
申立人は、相手方に対し両名間の長女洋子、長男晃を連れて申立人と同居すべき旨の審判を求め、その理由として次のとおり主張した。「申立人(妻)と相手方(夫)との婚姻関係が破綻しているとはいえない。申立人は、食事や掃除のことで夫の気分を害したことはあつたし、夫の服装に配慮の足りなかつた事実はあるが、夫に外食を余儀なくさせたことはなかつた筈である。申立人は家事についても常に相手方である夫に相談したし、子が母親である申立人を恐れたことはない。また申立人は夫の地位、名誉、信用等をこわしてやると言つたことはない。昭和四四年頃から夫の帰宅は夜中の十二時過ぎになり、その頃から申立人と夫の母親・姉と不和になつた。申立人は夫から子供等を育てたければ連れてゆくように言われた。そして同年一二月頃夫から離婚を求められた。当時申立人は妊娠していたが、夫の意に副わない子を生むわけにいかないので中絶した。他方申立人と相手方の夫婦と子二名は(それまで相手方の母親・姉と同居していた)他に住所を捜すこととし、同四五年一月二八日頃○○荘に移転したが、同年四月頃相手方は独身生活したいと言つたり、離婚を求めたりしたが、両名間に和諧できず、翌五月家裁に調停を申立てることになつた。ところが、同月一一日頃長女洋子、長男晃の二名の子は申立人に無断で相手方の母親方に移され、申立人からとりあげられてしまつた。その後翌四六年一月二八日家裁で別居調停がなされたが、これより後同年一〇月にも相手方は申立人に対し離婚を求めて来た。しかし今後の努力で申立人は相手方と夫婦円満にやつていくことができるから、同居の審判を求める。」
二 (相手方の陳述)
申立人との夫婦生活は別居する六ヵ月位前である昭和四四年五月頃から既に消滅していた。相手方は申立人との婚姻生活は余りにも苦痛なものであつた。本来婚姻は相互に愛情を持ち、尊敬し、信頼し、いたわり、協力し、向上の努力をなすべきもので、その中で子を育てるべきものである。しかるに申立人との婚姻はそうではなかつた。私にとつては申立人とのそれは単なる「ねぐら」に過ぎなかつた。夫である私が帰宅する夕方の七時から七時半に妻は部屋の掃除をはじめ、食事にありつけるのは九時から九時半であつた。妻は夫の服装の世話もしてくれなかつた。子らは母親である申立人を恐怖した。相手方の母親の言によれば、申立人は子を繩でくくり、しばつた上押入れに入れてセッカンしたという。長女洋子(当時五歳)は家出をしたい旨父親である相手方に告げたこともある。申立人と相手方は円満な関係に復帰する見込はなく、また申立人に子を健やかに育てる能力はない。また申立人は全く反省がないから、同居して家庭を築く力があるとは考えられない。申立人の本件申立に応ずることはできない。
三 (判断)
(一) 家裁調査官に対し、申立人はその勤務先を相手方に秘匿することを求め、相手方はその住所を申立人に対し秘匿することを条件にして調査に応じた。そのため本件当事者の住所はいずれも当事者欄の肩書に記載しない。
(二) 記録(本件記録のほか当庁昭和四五年(家イ)第二五九三号及び同四六年(家イ)第七九九七号各夫婦関係調整事件の記録を含む)によれば次の事実が認められる。
「申立人(清子)と相手方(武夫)は昭和三八年三月三日結婚式を挙げ同四月一一日届出をして婚姻した夫婦であつて、清子は看護婦勤めをなし、武夫は会社勤めをなし、夫武夫の母親及び二人の姉と同じ建物に居住して夫婦生活をはじめた。当初夫婦の折合いに格別のことはなかつたが夫の母親や姉たちと清子との間の折合いが悪くなり、また清子は夫武夫の気に入らぬこともあつたりして、夫婦間の円満を欠くようになり、合意の上昭和四五年一月二八日頃夫婦が子二名をつれて世田谷区○○△丁目△△-△○○荘に住居を移した。しかし同年四月末から五月初めにかけて夫武夫は洋子(長女)、晃(長男)の二名の子を連れて同所の住所に妻である申立人を残して立去つた。そこで清子は同年五月八日家裁に対し夫婦関係調整の調停を申立て(当庁同四五年(家イ)第二五九三号)同事件について同四六年一月二八日『一、清子と武夫とは当分の間別居する。武夫は別居期間中当事者間の長女洋子、長男晃を養育する。二、清子は別居期間中長女洋子および長男晃の養育状態について昭和四六年二月から四ヵ月毎に年三回東京家庭裁判所に対し調査を依頼することができる。三、武夫は上記子らの住所が移動したときは直ちに東京家庭裁判所に通知することとする。この場合清子は第二項の定めにかかわらず上記子らの養育状態の調査を依頼することができる。』なる調停が成立した。他方武夫は清子を相手方として同四六年一二月二四日当庁に離婚調停を申立てた(当庁同四六年(家イ)第七九九七号)が、翌四七年七月三日調停不成立で同事件は終了した。かくて右昭和四六年一月二八日成立の調停において清子は武夫と、当分の間別居することを合意したものであつた。」
(三) そうすると申立人は爾後当分の間は両名の夫婦関係を調整するため相手方と別居することはやむを得ないところであつた。しかし現在はそれから二ヵ年半以上経過している。この期間は当分の間というには長すぎる。他方記録によれば、「相手方は右調停に基づいて申立人と別居することとなつた昭和四六年一月から間もない同年四月より他女(太田ひろ子)と同棲し洋子、晃の二名の子を同所に伴つて夫婦同様の生活をはじめ現在まで二年数ヵ月に及び、しかもその棲み家及び子らの所在を申立人に秘匿している。」ことが認められる。相手方のこの秘匿は前記調停条項第三項の趣旨に違背するところでもあり、かくては申立人の心がおだやかでないことは察することができる。そうであつてみれば、かりに申立人側に別居前多少至らないところがあつたかどうかに拘わりなく、調停による別居の合意の変更に代わる審判をなすべき事情の変更があつたものと認められ、相手方が右別居の合意を理由として申立人からの同居請求を拒む正当の事由があるものとは認めるに足りる証拠はない。
(四) 本件においてかりに相手方に対し申立人と同居すべきことを命ずる審判をしても、本件事案においてはその実現は殆ど期待することができないから、そのような審判をすることは非現実的で相当でないとの見解もないわけではない。且つ相手方に対し申立人と同居を命ずる審判をしてもこれが執行に適するものと言えないことは明らかであつてその実効については疑わしい。しかし相手方が二名の子を連れて自らこれを扶養し、慎ましやかな生活を送つているのであれば事態は全く異なるけれども、相手方は前記のとおり別居後殆ど間をおかないで他女を引入れ夫婦同様の生活を営んでいる。右は倫理、道徳、社会的に許容できないところであつて、太田ひろ子と同棲する相手方の現況を是認することはできないから、申立人のもとから子を連れ去つた相手方は、再び右二名の子を連れて申立人の前記○○荘の住居に戻り、同居すべき法律上の義務が優先的に作用するものというほかない。
(五) よつて、申立人と相手方との間の夫婦関係がこの審判の形成するところに従わないとき実効を期し難いかどうかにかかわりなく本件においては同居を命ずる審判をなすのを相当と認め主文のとおり審判する。
(家事審判官 長利正己)